うみうみう日記

主に建築・写真

5.金町と柴又はどっちが下町か

そもそも初めて訪れたまちとか普段の生活で見つけたことを書くつもりの日記だが、意外と最近そういった散歩や旅行ができていない。今書いている論文のことで頭がいっぱいだ。

文を書くのは好きだが、論文は好き勝手書いて良いものではないし、日記ではないのでこういう書き方とも違うのだ。

 

でもあまりに電車の中が暇なので、きょうは金町についてでも書こうと思う。

 

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僕は東京理科大学葛飾キャンパスに通っている。最寄駅は葛飾金町駅常磐線緩行線の駅であり、京成金町線の終点でもある。

小学生から神奈川県のニュータウンに住んでいた僕は、高校生までは原宿とか渋谷とか、繁華街としての東京しか知らなかった。それが大学が理科大に決まり、葛飾区というド下町に6年間通うことになったのである。そして今、その6年が終わろうとしている。

小学2年の時に引っ越しと転校を経験しているので、6年間同じところに通ったのは金町が初めてだった。中学と高校を合わせた時間と同じだけの時間、金町に通い続けたというのはにわかに信じがたい。初めて来た日もよく覚えているし、今から思えばあっという間だった。これからもっと時間の流れが速くなると思いたくない。

 

6年間通ったが金町の何を知っているかと言われればよく分からない。飲み屋も開拓したいと言いながら全然同じところばかり行くし、ご飯もラーメンかすし祥かときわ食堂か海鮮丼みたいな感じだ。

初めて入る店のハードルは意外と繁華街のそれより高い気がする。お店を構成している要素のうち、[人]とか[コミュニティ]の割合が高い感じがして、入って行きづらいというか、なんとなくお店の人の顔も覚えているいつものところに行ってしまう。下町ってそういうものなのかもしれない。なんというか、奥行きがあるまちだ。

 

宮田さんが卒制でやった「下町の器」は、観光地化した柴又を一般の人たちが「昭和レトロ」とか「これこそが下町」と言っていることへのアンチテーゼだった。帝釈天の参道のファサードは確かに立派だが、看板建築で覆われた一本道は人に奥行きを忘れさせる。店が閉まった夕方5時以降の参道は、誰もおらず本当に寂しい景色だ。多分本当の下町は奥行きにこそその魅力がある。奥行きというのは、ファサードの内側にしろ、コミュニティの内側にしろ、表層からは見えないものだ。

 

そういう意味では金町の方がよっぽど下町として発達している。帝釈天は何回か行けば参道の全ての店を制覇することも簡単かもしれないが、金町は景色は見慣れても知らないことばかりだ。それは僕がこの町の奥行きの部分をほとんど見れていないからだろう。

 

今論文で題材にしている再開発は、こういう下町が残しているような奥行きを全部更地にし、全ての人が入りやすく便利な店舗に変えるものだ。金町でも駅前の商店街が一街区丸々解体され、まさに今再開発されている。

そして僕が働く予定の設計事務所もそういう開発が得意だ。もし自分がそういう物件を持って、完成した時、果たして心から喜べるだろうか。

 

しかし、建築の寿命やその他諸々、再開発の理由として挙げられるものは至極真っ当なものである。だから開発は必要だ。でも必要悪でありたくない。

 

この問題を建築の観点から解決する。これが、下町で6年間建築を学んだ僕の今の目標である。もし神楽坂で6年間学べば、また違った考え方になったのだろうか。何にせよニュータウン育ちには十分刺激的な町だ。金町は。