うみうみう日記

主に建築・写真

6.我善坊の谷と森ビル

修論の梗概を提出し3日ぶりに家に帰る道中。ねむいねむいが電車で寝るのが苦手である。しかも今日は直通の急行の良い時間のが無くて準急なので座って帰るためには1時間半位乗る羽目になってしまった。

代々木上原で乗り換えれば早く帰れるが、眠いし雨なので座って帰ることにした。

 

次は乃木坂、RCRの展示も見に行かなければ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

論文の梗概が大体終わったくらいから、本論用にこの2年間で行ってきた現地調査の写真を整理する作業をした。対象にした事例は大体60ちょっとで、そのうちテーマである地形のあるところに建っているのが24。そのうち実際に見に行けたのは15くらいだろうか?

散歩中に寄り道した時も入れれば10回以上は町歩きをしていた。でも意外とそんなもんだ。

 

その中で特に何回も行ったのが麻布台の我善坊の谷である。事業はまだ始まったところなので研究の対象事例には無いが、研究の動機として十分な理由になる開発だ。

我善坊の谷は六本木と神谷町の間あたりにある細長い谷戸のことを指す。ノアビルのある交差点から裏道に入り、霊友会のまがまがしい建物を抜けたところだ。細長い谷戸内は一本道になっていて、抜けた先は麻布通りに抜け、少し北に歩けば泉ガーデンがあるという場所だ。

なぜここが研究の動機として十分なのかは写真を見れば分かる。

f:id:umiumiua:20190207161408j:image

 

 

初めてここを訪れたのは卒論を書いていた2016年、四年生の春。背後に迫る大規模な再開発ビルに対比するバラックのような街並みに思わず写真を撮ったのを覚えている。

 

再開発の波に飲まれず谷ごとタイムスリップしたようなこの場所がとても不思議だった。

都市の領域を分かつのに、崖線は行政によって引かれた線よりよっぽど十分な補助線となることを知った。

 

そして谷地特有のじめっとした、少し怖いくらいの空気感、ゲニウス・ロキ=地霊という言葉は当時まだ知らなかったが、我善坊の谷にはそれが確実にあった。

 

ここが再開発の予定地になっていたことを知ったのは大学院に進学してからだ。たしかに2016年の春の時点で、既に森ビルによる土地の回収は行われていたと思う。でもまだゴーストタウンというまでの状態ではなかった。

しかし2017年にはいつのまにか人がいなくなり、2018年春、ついに建物の解体が始まった。

 

それから2018年中に3度ほど訪れたが、俯瞰して見たところまだそこまで変わったとは分からない。しかしひとたび谷の中に入り込むと、そこは2年前とはまるで別の場所である。人は増えたが皆作業服姿にヘルメットである

f:id:umiumiua:20190207160116j:image
f:id:umiumiua:20190207160036j:image
f:id:umiumiua:20190207160041j:image

比較的築年数の浅そうなマンションにはまだ洗濯物が干してあったが、すぐ隣で一日中コンクリートをはつる音がするなど、とても住めたものではないだろう。

 

この我善坊の谷の跡地の計画が、300m超のランドマークを含むツインタワーを中心とした緑いっぱいのまさにユートピアのようなランドスケープだから余計に笑えてくる。

 

ニュータウンに住んでいながらこんなことを言うのは気がひけるが、長い年月をかけてできた時層を跡形もなく引き剥がすような開発を見るのは悲しい。

 

f:id:umiumiua:20190207155941j:image