うみうみう日記

主に建築・写真

ひげから地球へ、パノラみる展を見た

今日は現美まで吉阪隆正の展示を見に行った。歩いていけるの距離に住んでいるのは恵まれたことだなと毎回思う。

展示はあまり予習もしないで行ったのだが、それがかえって良かった。

吉阪がここまで国際的な人物というのも知らなかった。早稲田に事務所を構えていた頃の昭和っぽさがとても魅力的だった。

あと格言みたいなのが各所に貼ってあったのだが、それが自分の状況と照らしあわされて響いていた。歩きながらずっと説教されているというか、諭されいるような気分になった。「やらずにはいられないとやらねばならないは全然違う」みたいな言葉(写真撮れなかったのでディテールは覚えていないが)をはじめ、「建築家は人間の生活への情熱を忘れたら単なる技術者に過ぎない存在」とか。まさにそうだよなと。

前者は、やることは山積みなのに、土日を使ってまではやりたくない、とか、土日は他の事をしたいと思っている私の気持ちをよく表している。仕事に熱中しきれていないからなのだろうか。物事を決める権限が無い、決めてもす何事もなかったかのようにひっくり返り、やり直しさせられる今の仕事で生みの欲求など出てくるわけがない、という自分の奥にある不満と、それでも何かを生み出すためにひたすら努力すべきという気持ちの葛藤でぐるぐると色々考えてしまった。

後者は前者と関係するが、技術者としては確実に進歩を遂げている自分に対し、どこかで満足している中で、それだけで良いのか?と呼びかけられている気持ちになった。このまま技術者として成熟しても、とてもではないけれど自分のことを建築家とは呼べないよなと。情熱をどこかで忘れずに持っておかなくてはならないよなと。

まとめると、技術者的なタスクに忙殺される中で、どうやって情熱、つまり高いモチベーションを維持して生み出すことを続けることができるか。これが当面の課題である。

多分、今後10年くらいかけて技術者として成熟しつつ、自分のあるべき方向性を見出していくのであろう。最近知り合いが立て続けに退職したが、みんな会社が辛いというよりは、生みの欲求を抑えられず辞めていくのだろう。

 

吉阪は設計から現場までとてつもない情熱をもって取り組んでいたようだった。図面からそれが分かる。やはり手書きは良い。意思が伝わるから。

あとは設計の背景になる思想がすごい。戦後バラックからはじまった生活、考現学のような文化的視点、そして都市的視点、スイス生活にルーツを持つ平和的視点。山岳部から厳しい環境での建築、旅、コルビュジエの思想を引き継いだ自邸等々。。建築のスキキライではないレベルで共感できる一方、自分に足りないものが多すぎて後半しんどくなってあまりちゃんと見れなかった。

 

とにかく、この繁忙期を乗り切って文化的に発展しよう。

今思い出したが、建築をつくることは自分の魂を建築に移すこと。という格言もあった。これこそ至言である。おそらくいい建築というのはそういう建築を言うのだろう。今後一切、私が関わる建築に私の魂を移すという気持ちで向き合うと、ここで宣言する!!