うみうみう日記

主に建築・写真

2.渋谷川・ペンシルビル

 前回渋谷ストリームについて書いたので、今回はその時の本来の目的である渋谷川流域の敷地について考察したことを、実際に出したコンペ案のストーリーに乗せて書いてみようと思う。

 

 まず課題の概要である。

 元々は水の都だった東京において現存する重要な河川である渋谷川が、都市のウラガワに隠されもはやドブ川と化していた問題はいろいろな人が指摘してきた。渋谷川は近代化に伴いその上流部を下水道として転用,渋谷中心部は暗渠とされ、下水部が渋谷川幹線(明治通り下)に繋がる堰が基準の水位を超えると下流渋谷川にも下水が流れてしまう構造である。よって現在でもちょっと臭いがする。また、渋谷ストリームの壁泉による導水が始まるまでは、水源がないためほぼ水が流れていない状態であった。

 これらの理由により、過去の水辺空間としての魅力を全く失ってしまった渋谷川とその周辺を敷地として何かしらの提案をして下さい。というのが今回の課題であった。

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現在の渋谷川から渋谷ストリームを見る。

 

 

 

 私たちが惹かれたのは川沿いのペンシルビルだった。

 明治通り渋谷川に挟まれた細い敷地に、飲食店、オフィス、集合住宅、あるいはその複合の、様々なペンシルビルが並んでいる。さらに川の反対岸は広い歩道を挟んで狭い車道、さらにビルといった形だが、その歩道があった場所は数年前まで東急東横線の高架があった高架跡地である。歩道は高架が撤去された後に整備され、キッチンカーが停まりオフィスワーカーがぽつぽつ通るような、静かで素敵な場所となっている。そこから渋谷川ペンシルビルの裏側が見えるので、ベランダでタバコを吸うサラリーマンやゴミを出す蕎麦屋のおじさんなどが川岸から観察できる。ペンシルビルの足元の護岸は植栽が無造作に置かれていたり、梯子がかけられたり落書きされたり、生活感溢れる様子が見られる。敷地はこのようにカオスな場所で最高に面白い。この感覚は少数派ではないと思う。

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かつては東横線高架により、両岸は断絶していた。現在は高架撤去により都市のウラガワが表出する。
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ペンシルビルの裏側にある隙間はそこで生活する人の床の一部となる。

 しかし、では具体的に何が面白さを生んでいるのか。カオスの要因なのかという話になると、説明するのは難しくなる。落書きがあるから?生活感が見えるから?これはら面白さの具体例であり、要因ではない。

私達はこの言い表し難い面白さの要因として以下の2つを仮定した。

ペンシルビルが生む凸凹の隙間

 ペンシルビルは多くの隙間を生む。ビル同士の間の空間や、護岸との間、各ビルに設けられた非常階段などである。再開発などで計画される大平面のオフィスと違い、平面が限られるペンシルビルでは、これらの正式には使用できない場所に生活のあらゆる裏の場面が溢れ出る。自らのゆるさによって境界を溶かし、はみ出すことで結果的に縄張りを広げているように見えた。

②素材の混合

  建物は一棟一棟デザインが異なり、外装材も異なる。RC打ち放しのビルの隣に白いタイル貼りのビルがあり、その隣には赤い塗装のビルがある。。といった具合である。ある建物はスチールのベランダが張り出し、隣のビルは黒い仕上のアルミサッシだったりする。まとまりとして見たときに素材が混合していることにより、その建築群が秩序を持たずに乱立している印象を受けるのではないだろうか。

 

 再開発などでツルッとした余白のないビルばかりが建つ中で、隙間だらけで統一感のないゆるさを持った建物たちに、私は愛着を覚えるし、ゆるさをポジティブに捉えている。

 

 

 

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 一方、渋谷の中心部では再開発がいくつも並行している。ヒカリエをはじめとして、渋谷の景色は5年後には見違えるほど変わることは間違いない。その中で、宮下公園の解体は自分の中で衝撃的だった。ここも再開発され公園の横に高層のホテルが建つ予定だったと思う。宮下公園は汚くて暗くて、観光客やキラキラした人たちが来る場所ではなかった。しかしそこにはルールからはみ出るほどの若さのエネルギーと、ホームレスを同時に受け入れる渋谷らしい寛容さがあった。都市のウラガワになる場所は、公園しかり、高架下しかり、そういう寛容な場所としての役割を常に担ってきたように思う。そしてそういう場所には、大体人を惹きつる魅力がある。

 だからこそそういう開発の跡地がどのような場所になるかにとても興味があるのだ。

 ディベロッパーのコンセプトに「壁に落書きし放題」とか、「スケボーで駆け抜けられる」とか「ホームレスが居て良い」とか、そういったことは大多数の利益に反するということで入ることはない。でもそういうことができる場所も必要だ。

 

 ここで、敷地を思い出してみる。

 渋谷川の護岸、ペンシルビルの隙間、非常階段。

 私たちはこの余白だらけの場所を、渋谷のストリート文化が生き残るポテンシャル=寛容さを持つ場所と捉え、敷地の持つ隙間に過去と現在を渋谷をパッチワークのようにコラージュし、それらをスカイデッキで繋ぐことで新しい都市体験を獲得するという提案をした。

 タイトルは、Patch work された渋谷を walking すると言う意味で、“PATCH WALKING SHIBUYA “とした。小綺麗に設計された空間ではなく、かといってディストピアでもない、あくまで渋谷の楽しさや興奮がパッチワークされた空間を意識した。 

 

 渋谷川沿いの水辺空間を人々がハックすることにより、失われつつある渋谷のストリート文化がここに再興する。新旧の渋谷が織り交ざる風景=渋谷コラージュ。やりたかったことはこれだ。

 結果は一次予選止まりだったが、渋谷について色々と考えるよい機会だった。

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P.S. 

 デッキを歩くというとありきたりだが、コンペのキーワードが”ウェルネスアーキテクチャー”だったので、少し広義に解釈をし、スマホGoogle Mapを見ながら目的地に到着する現代人を実際には都市を知覚しておらず、都市の変化に気付きにくくなっている。これはウェルネスな状態とは言えない。と批判し、このようなデッキで空中を散歩するように移動することで、都市が本来もつダイナミズムを体感し、さらにデッキが領域をクロスしていくことが普段は関わることのない人々のゆるやかな接近を試みるという目的がある。