うみうみう日記

主に建築・写真

14.四谷

先週はなぜだかけっこう体力を消耗したので、この週末はけっこう寝ていた。

 

土曜日はほぼ寝ていて、日曜日も昼間で寝ていた。これはあまりよろしくないぞと思い立ち、今日は昼過ぎに大手町まで出て丸善へと向かった。オアゾ丸善は意外と行ったことが無かったかもしれない。丸の内・大手町界隈は大学時代に定期券内だったこともあり、定期的に降り立つ街だ。とはいえ完全にオフィスワーカーの街なので、学生の頃はウロウロするだけだった。なので結局有楽町方面か、皇居方面に歩いて行くので丸の内の建物は素通りが多かったのである。そんなわけでオアゾ丸善も存在は知っていたけれどもなぜだか敷居が高かったのである。(実際はそんなことはない)

 

話はそれるがKITTEができたのが2013年でちょうど大学に入学した年だった。大学2年生の課題で丸の内界隈の探索をしたのがきちんと丸の内を歩いた最初の機会で、新丸ビルがめちゃめちゃかっこいいなと思ったのをよく覚えている。KITTEはどちらかというと庶民でも入りやすい設えの建物だ。丸ビルや新丸ビルがかなり面積重視の積層型の構成でありエントランスもいかにも高級という内装であるのに対し、KITTEは真ん中に三角形のアトリウムがあり、これが6階くらい?まで吹き抜けている。このアトリウムが敷居を下げているのだが、巨大アトリウムのような無目的=お金にならない空間をこの一等地で実現しているのは今考えればとても勇気のいることだ。郵政の建物だからかであろうか。KITTEが素晴らしいのは2階と3階にあるインターメディアテクという日本郵便東京大学が連携した博物館が存在することだ。行ったことが無い人は是非行ってみて欲しい場所である。丸の内で無料で過ごせる場所としてここより質の高い場所は無いと思う。

www.intermediatheque.jp



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KITTEの平面図。こうやって見ると普段利用する商業部分と郵便局が西側と北側の限られた接道部分に割かれ、オフィスのエントランスとコアでかなりの面積が使われているのが分かる。

それにしてもオフィスビルの平面計画は難しい。38階建てのKITTEでざっと数えてEVが8×4=32台+非EV2台ある。ほぼ1フロアに1台のEVが計画されているのだ。これだけEVで面積が取られるとなるとなんだかもったいないような気がしてくる。

 

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話が逸れたが丸善に辿り着いたところから再開しよう。

1階の入ったところが自己啓発系の本やビジネス本、法律系の本で、雑誌が2階に配されていた。理学工学系の専門書は3階だ。

2階の雑誌コーナーで気になる本を見つけた。2020年12月の「東京人」は四谷特集だ。まず、「四ッ谷」ではなく「四谷」とある。駅名における「ッ」とか「ヶ」は読みやすさのために入れているらしい。地名では無いことが多いようだ。

www.toshishuppan.co.jp

j-town.net

 

四ッ谷の場合は駅としての四ッ谷を利用する機会が多いため、何となく「四ッ谷」の方がしっくりくるのだが、正式には「四谷」と呼ぶ方が適しているのだろう。

さて今回の四谷特集は、弊社の最新再開発物件であるコモレ四谷が取り上げられていた。見開きで社長の篠崎さんのコメントがばっちり掲載され、大学の先輩にあたる常盤さんが東京スリバチ学会会長の皆川さんと散歩するという激アツ回だった。たまたま手に取らなかったら気づかずに書いそびれただろう。ポータルで宣伝して欲しいものだ。(していたのかも。)

社長曰く四谷は東京のおへそだという。なるほど東京は他の都市と違い、真ん中に皇居が存在することで非常に中心性の低い都市と言える。正確には皇居を囲んで山手線に沿った環状の都市構造をしているとでも言うのだろうか。続けて四谷は東京の中では相対的に低密度な都市を形成しているとある。低密度というか、低層というか、たしかに山手線内の総武沿線というのは独特な空気感を持っている。出身校の理科大飯田橋・神楽坂に位置するから、何となく東京の中心なのに高層ビル群はなく、かといって下町とも少し違った高級な佇まいの街の雰囲気は体感してきた。この雰囲気は何に由来するかというと、江戸時代に遡り、下町が庶民の居住地であったのに対し、この山の手=台地は武家の屋敷や庭園が位置していたことも関係あるだろう。神楽坂は花街だったか、そういう空気感は東京のような新陳代謝の激しい都市でも意外と継承されるものだ。そしてさらに遡るとそれらの棲み分けは東京特有の微地形によって自然と決定していたと言える。こうして私の研究テーマに帰結するわけだが、このあたりはまた別の機会に書きたいと思う。さらにこのように続く、おへそとは自然の働きだけではなく、人の手が入った形。それらにより魅力が作られると。四ッ谷駅をはじめとして外堀の都市空間はしばしば重層的といった表現をされる。元来の地形、江戸時代の外堀掘削による地形、中央線開通(当初は甲武鉄道)、丸ノ内線開通。と、時代と共にいくつもの都市的インフラが重なって現在に至るからだ。そうしてできた空間は独特で、奥深く、魅力的だ。今ある状態に手を付けて改変することは必ずしも悪い結果を生むとは言えないのである。むしろ手を入れざるを得ないとき、どうしたら魅力的な都市建築を生み出せるか?その作法・流儀こそ私達のような設計事務所の所員が持っていなければいない感覚かもしれない。

最後にはこのように締められている。近代化と共に場所の力が隠されてしまっているところも多い、そういった場所の力を呼び起こすことが我々の仕事だと。つまり近代化によって東京の歴史は失われたわけではなく、蓋をされているだけということだ。土地の記憶はそう簡単に抹消できるものではない。建築を設計するとき、必ず土地の記憶がヒントになるはずだ。もし運良くそういうプロジェクトに配属されれば、クライアントの要求はさらりと満たしつつ、東京のニッチな場所性をこっそり引き出す裏テーマを持って設計したいと思う。

 

以上