うみうみう日記

主に建築・写真

2024/02/17 土曜日

起きたら11時

急いでゴミ捨てへ。良かった間に合った。

土曜のごみ収集を遅くしてくれる墨田区ありがとう。

 

朝ごはんを作る。

おみちゃんが作ってくれたカレーを食べる。

2日目カレーならぬ3日目カレー。

と思ったがご飯がないのに気づく。冷蔵庫奥底にあったいつぞやの冷蔵ご飯をチンしてみた。

ちょっと変なにおいがするけどカレー欲に勝てず食べた。カレーが美味しいのでにおいは気にならなくなった。

 

カレーを食べながら満を持して牛沢実況のキムタクが如くロストジャッジメントの最終回を見た。

八神も桑名も相馬もかっこよかった。

 

土曜日はいつも何もする気にならないので、そのまま東海オンエアの昔の動画を観た。

大学時代を思い出して懐かしい。

 

トマトのパスタを食べた。一食分で括っているパスタじゃないとつい食べすぎる。バジルが調味料箱の奥底にいて手こずった。

 

食べたら眠くなって2階へ。

まだ何も家事をしていない。皿は洗ったけど。

 

布団でゴロゴロしていたら6時くらいになっていた。土曜に予定を入れないと大体こうなる。

 

YouTube視聴は動画編集の勉強だったということにして、プレミアプロを開く。結婚式のオープニング動画だが他のAdobeソフトとまた違って慣れない。

文字を入れただけのはずが、文字が途中で動く。

苦戦しているうちにおみちゃんから連絡あり。風邪っぽいらしい。心配。

 

夜ご飯を作っておこうと思い米を炊いて鍋の用意。鍋は簡単すぎて料理というより用意。

にんじんと大根だけ煮つつ風呂の用意。普段はありえないが2日間風呂に入っていなかった。

 

和風のパック出汁が無かったので肉の調達のついでに買う。近くのスーパーは肉魚が弱すぎて買う気にならないが、イトヨまで行く時間でもないので我慢した。

 

鍋完成と同時におみ帰宅。

本当に体調が悪そう。大丈夫だろうか。

食べた後はそのまま寝た。すぐ寝ていたが少し苦しそう。

かくいう自分も昼間あんなに寝たのにすぐに眠りについた。

 

ひげから地球へ、パノラみる展を見た

今日は現美まで吉阪隆正の展示を見に行った。歩いていけるの距離に住んでいるのは恵まれたことだなと毎回思う。

展示はあまり予習もしないで行ったのだが、それがかえって良かった。

吉阪がここまで国際的な人物というのも知らなかった。早稲田に事務所を構えていた頃の昭和っぽさがとても魅力的だった。

あと格言みたいなのが各所に貼ってあったのだが、それが自分の状況と照らしあわされて響いていた。歩きながらずっと説教されているというか、諭されいるような気分になった。「やらずにはいられないとやらねばならないは全然違う」みたいな言葉(写真撮れなかったのでディテールは覚えていないが)をはじめ、「建築家は人間の生活への情熱を忘れたら単なる技術者に過ぎない存在」とか。まさにそうだよなと。

前者は、やることは山積みなのに、土日を使ってまではやりたくない、とか、土日は他の事をしたいと思っている私の気持ちをよく表している。仕事に熱中しきれていないからなのだろうか。物事を決める権限が無い、決めてもす何事もなかったかのようにひっくり返り、やり直しさせられる今の仕事で生みの欲求など出てくるわけがない、という自分の奥にある不満と、それでも何かを生み出すためにひたすら努力すべきという気持ちの葛藤でぐるぐると色々考えてしまった。

後者は前者と関係するが、技術者としては確実に進歩を遂げている自分に対し、どこかで満足している中で、それだけで良いのか?と呼びかけられている気持ちになった。このまま技術者として成熟しても、とてもではないけれど自分のことを建築家とは呼べないよなと。情熱をどこかで忘れずに持っておかなくてはならないよなと。

まとめると、技術者的なタスクに忙殺される中で、どうやって情熱、つまり高いモチベーションを維持して生み出すことを続けることができるか。これが当面の課題である。

多分、今後10年くらいかけて技術者として成熟しつつ、自分のあるべき方向性を見出していくのであろう。最近知り合いが立て続けに退職したが、みんな会社が辛いというよりは、生みの欲求を抑えられず辞めていくのだろう。

 

吉阪は設計から現場までとてつもない情熱をもって取り組んでいたようだった。図面からそれが分かる。やはり手書きは良い。意思が伝わるから。

あとは設計の背景になる思想がすごい。戦後バラックからはじまった生活、考現学のような文化的視点、そして都市的視点、スイス生活にルーツを持つ平和的視点。山岳部から厳しい環境での建築、旅、コルビュジエの思想を引き継いだ自邸等々。。建築のスキキライではないレベルで共感できる一方、自分に足りないものが多すぎて後半しんどくなってあまりちゃんと見れなかった。

 

とにかく、この繁忙期を乗り切って文化的に発展しよう。

今思い出したが、建築をつくることは自分の魂を建築に移すこと。という格言もあった。これこそ至言である。おそらくいい建築というのはそういう建築を言うのだろう。今後一切、私が関わる建築に私の魂を移すという気持ちで向き合うと、ここで宣言する!!

 

日記

あまり意味がないことに気づいたので、タイトルに番号を付けるのをやめた。

その数字が仰々しくて、書くことに腰が重くなっては元も子もないわな。

 

今日は日記

朝、というか昼に起きて洗濯物を干した。

向かいのマンションのおっちゃんがベランダでたばこをすっていて、目が合って少し気まずい感じ。

お昼はサッポロ一番の塩ラーメン。新玉ねぎが沢山あったので入れた。炒めて美味しいのは普通の玉ねぎかも。お腹いっぱいで苦しくて再びごろごろ。

ジェラードンという芸人をYouTubeで見た。怪しい勧誘みたいな感じで小咄をするというコントが面白かった。

掃除もした。掃除は割と好きなので掃除機は高いやつを買った。でも今は家の床に物が多くてあんまり捗らない。思い出したように昔のスニーカーを二足捨てた。ついでに自分のスニーカーを洗濯機で洗ってみた。

 

またYouTubeを見る。車と土屋圭市が好きでたまに見る。先月亡くなった高橋国光さんとの話とか。レースの世界は面白い。二十代のうちにスーパーGTとか見に行きたいな。

 

のんびりしていたら夕方になっていた。こういう日は大体錦糸町に行く。今日は本屋に行きたかったからわざわざ北口まで。森山大道のドキュメンタリー本みたいなのが置いてあって良さそうだった。

あとは料理本が面白い。和洋中。和食は作るのが大変だけどやっぱり美味しそうと思ってしまう。中華はシンプルな炒め物レシピが美味しそう。あとたくさんの香辛料が食欲をそそる。浅田真央がレシピ本を出していてびっくりした。

東海林さだおのエッセイがたまたま目について見た。多分もう90歳超えてるのではないかな。この歳でもエッセイを書き続けていることが本当にすごい。買おうと思ったけど、少し読んでみたら、文章の独特なキレがあんまり感じれなくてやめてしまった。

 

ギターの練習をしたいけど楽譜が無いとなかなかね。とりあえず帰ったら弦を変える予定。

 

これで大体800文字。いつもの定例議事録が8000字くらいだから議事録って恐ろしいな。

 

そんな日でした。

16.本屋を泳ぐ

今日みたいに仕事が早く終わった日は大体、本屋に寄る。

 

人に比べて本を沢山読む方ではないが、本屋が好きだ。本屋を巡る体験は泳いでいるような感覚に近い。言葉の森をスイスイ泳ぐ。するといろいろなことが、興味があることもないことも、身体の近くを流れていく、他には代え難い体験が好きなのだ。

 

会社の近くの本屋は程よく大きく、余計に楽しい。コースも色々選べる。入ってすぐは文具、その先に旅行誌コーナー、右手は人文社会系で左は雑誌とレジ、その奥に小説など。理系専門誌と漫画は別のフロア。よりどりみどり。かといって一部の専門領域にやたら力が入っているわけではないのがまた良い。そうすると自分の分野に入り浸ってしまう。本屋は周辺領域との貴重な出会いの場でもあるのだ。専門書だけならAmazonで良いからね。

そうやって色んなコーナーを横断するように泳いでいると、普段どれだけ偏った世界で生きているか分かる。世の中知らない、触れたことがないことばかりなのだ。戦国史とかもう面白そうだし、大学の一般教養で齧った哲学も今一度学びたい、割と身近な不動産業、Pythonも勉強したいなどなど、、どう足掻いても世界の全てを知ることはできない。

 

そうやって月に一度くらいは本屋に行き、そこで見つけたそのとき欲しい本を何冊か買って帰る。実際あまり読めていないのだが。。積読もまた一興ということで。

 

 

15.いろいろ

コロナ禍に入って一年以上が過ぎたが、休日の過ごし方は未だ定まっていない。

 

朝起きたらまず洗濯と掃除を済ませ、昼前の街へ繰り出す。あての無い散歩は最初こそ楽しいものの、歩いていける範囲には限界があり既に知っているコースを繰り返しがちである。大体疲れて喫茶店に入るのは1時間くらい歩いたときだろうか。

チキンなので一人でそんなに敷居の高い店には入れない。よく行くのは両国のベローチェ四ツ谷サンマルク茅場町ドトールなど。。

一服(タバコは吸わない)しながら地図を見て次行く目的地を探したり、これまで通ってきた道を再確認したりするのだが、最近は本を読むということを覚えた。

喫煙室」という週刊文集のエッセイコーナーをまとめたものを会社の図書室で拾い、最近はそれを少しずつ読んでいた。書き手(話し手?)は小説家から映画監督、噺手、漫画家や料理研究家などさまざまだ。一応喫煙室でするような他愛もない話というのがコンセプトで、一つ一つのエピソードはごく短いのだけれども、これが意外書き手の個性が強く出ていて奥が深く、面白いのだ。

タバコを覚えた若いころの話、幼少期の思い出、老後の密かな楽しみ等など、、誰かに聞かれないとわざわざ話さないような、その人の内面が滲み出る文章が好きだった。

文章の内容もさることながら、文体というか文章の性格も人による。同じ内容でも最後まで飽きさせず読ませる人と、少し読み飛ばしたくなる人もいる。そう言いながら自分の文章は今のところ後者である。。前者の人たちは本当にすごい。

 

やはり定期的にこうやって書くことを続けないと、だめですね。

今日は終わり。

 

 

 

 

14.四谷

先週はなぜだかけっこう体力を消耗したので、この週末はけっこう寝ていた。

 

土曜日はほぼ寝ていて、日曜日も昼間で寝ていた。これはあまりよろしくないぞと思い立ち、今日は昼過ぎに大手町まで出て丸善へと向かった。オアゾ丸善は意外と行ったことが無かったかもしれない。丸の内・大手町界隈は大学時代に定期券内だったこともあり、定期的に降り立つ街だ。とはいえ完全にオフィスワーカーの街なので、学生の頃はウロウロするだけだった。なので結局有楽町方面か、皇居方面に歩いて行くので丸の内の建物は素通りが多かったのである。そんなわけでオアゾ丸善も存在は知っていたけれどもなぜだか敷居が高かったのである。(実際はそんなことはない)

 

話はそれるがKITTEができたのが2013年でちょうど大学に入学した年だった。大学2年生の課題で丸の内界隈の探索をしたのがきちんと丸の内を歩いた最初の機会で、新丸ビルがめちゃめちゃかっこいいなと思ったのをよく覚えている。KITTEはどちらかというと庶民でも入りやすい設えの建物だ。丸ビルや新丸ビルがかなり面積重視の積層型の構成でありエントランスもいかにも高級という内装であるのに対し、KITTEは真ん中に三角形のアトリウムがあり、これが6階くらい?まで吹き抜けている。このアトリウムが敷居を下げているのだが、巨大アトリウムのような無目的=お金にならない空間をこの一等地で実現しているのは今考えればとても勇気のいることだ。郵政の建物だからかであろうか。KITTEが素晴らしいのは2階と3階にあるインターメディアテクという日本郵便東京大学が連携した博物館が存在することだ。行ったことが無い人は是非行ってみて欲しい場所である。丸の内で無料で過ごせる場所としてここより質の高い場所は無いと思う。

www.intermediatheque.jp



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KITTEの平面図。こうやって見ると普段利用する商業部分と郵便局が西側と北側の限られた接道部分に割かれ、オフィスのエントランスとコアでかなりの面積が使われているのが分かる。

それにしてもオフィスビルの平面計画は難しい。38階建てのKITTEでざっと数えてEVが8×4=32台+非EV2台ある。ほぼ1フロアに1台のEVが計画されているのだ。これだけEVで面積が取られるとなるとなんだかもったいないような気がしてくる。

 

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話が逸れたが丸善に辿り着いたところから再開しよう。

1階の入ったところが自己啓発系の本やビジネス本、法律系の本で、雑誌が2階に配されていた。理学工学系の専門書は3階だ。

2階の雑誌コーナーで気になる本を見つけた。2020年12月の「東京人」は四谷特集だ。まず、「四ッ谷」ではなく「四谷」とある。駅名における「ッ」とか「ヶ」は読みやすさのために入れているらしい。地名では無いことが多いようだ。

www.toshishuppan.co.jp

j-town.net

 

四ッ谷の場合は駅としての四ッ谷を利用する機会が多いため、何となく「四ッ谷」の方がしっくりくるのだが、正式には「四谷」と呼ぶ方が適しているのだろう。

さて今回の四谷特集は、弊社の最新再開発物件であるコモレ四谷が取り上げられていた。見開きで社長の篠崎さんのコメントがばっちり掲載され、大学の先輩にあたる常盤さんが東京スリバチ学会会長の皆川さんと散歩するという激アツ回だった。たまたま手に取らなかったら気づかずに書いそびれただろう。ポータルで宣伝して欲しいものだ。(していたのかも。)

社長曰く四谷は東京のおへそだという。なるほど東京は他の都市と違い、真ん中に皇居が存在することで非常に中心性の低い都市と言える。正確には皇居を囲んで山手線に沿った環状の都市構造をしているとでも言うのだろうか。続けて四谷は東京の中では相対的に低密度な都市を形成しているとある。低密度というか、低層というか、たしかに山手線内の総武沿線というのは独特な空気感を持っている。出身校の理科大飯田橋・神楽坂に位置するから、何となく東京の中心なのに高層ビル群はなく、かといって下町とも少し違った高級な佇まいの街の雰囲気は体感してきた。この雰囲気は何に由来するかというと、江戸時代に遡り、下町が庶民の居住地であったのに対し、この山の手=台地は武家の屋敷や庭園が位置していたことも関係あるだろう。神楽坂は花街だったか、そういう空気感は東京のような新陳代謝の激しい都市でも意外と継承されるものだ。そしてさらに遡るとそれらの棲み分けは東京特有の微地形によって自然と決定していたと言える。こうして私の研究テーマに帰結するわけだが、このあたりはまた別の機会に書きたいと思う。さらにこのように続く、おへそとは自然の働きだけではなく、人の手が入った形。それらにより魅力が作られると。四ッ谷駅をはじめとして外堀の都市空間はしばしば重層的といった表現をされる。元来の地形、江戸時代の外堀掘削による地形、中央線開通(当初は甲武鉄道)、丸ノ内線開通。と、時代と共にいくつもの都市的インフラが重なって現在に至るからだ。そうしてできた空間は独特で、奥深く、魅力的だ。今ある状態に手を付けて改変することは必ずしも悪い結果を生むとは言えないのである。むしろ手を入れざるを得ないとき、どうしたら魅力的な都市建築を生み出せるか?その作法・流儀こそ私達のような設計事務所の所員が持っていなければいない感覚かもしれない。

最後にはこのように締められている。近代化と共に場所の力が隠されてしまっているところも多い、そういった場所の力を呼び起こすことが我々の仕事だと。つまり近代化によって東京の歴史は失われたわけではなく、蓋をされているだけということだ。土地の記憶はそう簡単に抹消できるものではない。建築を設計するとき、必ず土地の記憶がヒントになるはずだ。もし運良くそういうプロジェクトに配属されれば、クライアントの要求はさらりと満たしつつ、東京のニッチな場所性をこっそり引き出す裏テーマを持って設計したいと思う。

 

以上

 

 

 

 

13.今年の抱負2021

年が明け2021年。去年に引き続き世界中がコロナウイルスの影響で騒然としている。10年後の自分も去年のことは鮮明に覚えているだろう。

 

東日本大震災のときも、神奈川は被災地では無いとはいえ、計画停電や連日流れるACのCM等、かなり生活にインパクトがあったが、今回はそれよりも大きく影響を受けている。東京が震源地のように言われて、しかも職場は新宿と思い切り当事者であるからだ。一体いつになったら収束するのだろうか。リモートワークは仕事をこなすだけなら全く問題はないが、色々なコミュニケーションや何気ない会話からも吸収して成長する僕ら世代にとっては大問題だ。今出社していなかったら正直仕事に全くついていけていないと思う。本当は同期や先輩社員ともっと色々議論したい。最近の建築も全然見に行けていないし、、

それでも2020年は配属もあり、一級もあり、これまでの26年でも濃密な時間だった。

今年は東日本大震災から10年。意外とあっという間だった。10年前は高校一年生だったんだな。建築を志してからももうすぐ10年。なかなか一人前への道は遠いな。

 

今年の抱負。

まずは一級建築士に受かること。学科と製図を一発で受けると明らかに時間が足りなかった。今年は基本を押さえて、資格学校の付焼刃に頼らず確実に合格したい。合格発表まで一年と考えると長い。

 

次に今のジョブをしっかり完遂すること。こちらは終わりが見えてきている。一旦は二月中旬まで。そのあとはなんだかんだで七月くらいまで。そのころはもしかしたら別のジョブに配属されているかもしれないけど、いずれにせよ今は色々食べて成長する時なのでさぼらず頑張りたい。

 

また、仕事以外で何か継続できることを見つけたい。このブログでも良いし、最近読めてない本を読んだり、何か自分の糧になることを吸収して、アウトプットする癖を今忘れないようにしないと、後々取返しがつかなくなる気がする。一級の勉強が本格的になってきたら難しいかもしれないけれど、できる限りのことはやりたいと思っている。ブログはアウトプットの練習にけっこう良いツールだと思う。僕は文章を書くのが正直苦手だ。特に思い付きで徒然と書いた分は後から読み返すとひどいことが多い。友人は文章を書くことに長けた人が多い。同居人もそうだ。普段の語り口と全然違う文体も書いていてびっくりする。なのでこの継続の裏テーマとしては、文章力の向上も兼ねることにする。色々ネタは思いつくので、この抱負を目次としてこの後それぞれちゃんと向き合って書いてみようと思う。もちろんゆるい日記も続けていくつもりだ。

 

しかし昔は文章を書くことが好きだったのだが、いつの間に下手になったのだろうか。大学に入ってからは建築のプレゼンしかしていないので、主にビジュアルありきのプレゼンだった。絵で語れば言葉は少なく、ポエムみたいな散漫なものでも許された。会社に入ってからはパワポがメジャーなツール。それらの作り方も、原稿を考えるには考えるが、文章だけで伝えるやり方とは思考の順番がやはり違う。それでいつの間にか文章だけを書く機会からずっと遠ざかっていたのだ。

 

その他、本当は10月ごろに引っ越したいけど、時期的に一級と被ってくるのでできるかは分からない。4年同じところに住むのってどうなんだろうか。いろんな町に住むことができるのも今だけだから、引っ越しはしておきたい気もする。でも引っ越し費用もばかにならないから、慎重にもなる。

他にも、お金貯める、NISA始める、ピアノ買う、音楽理論勉強等など。。2021年も忙しく行き急いでいきたい。

 

とりあえず、抱負としては終わり。

今年も頑張ろう。